闘将 星野仙一 「野球と恋愛してよかった」最後まで貫いた野球愛&夢

シェアする

早すぎる訃報でした・・・

1/4 早すぎる訃報が全国に届きました 周りにも病状のことは告げていなかったそうです・・・ 今その報を聞くと確かにやせ細っている感じはしました

燃える男 星野仙一

闘将 星野仙一 その物語を追ってみたいと思います

スポンサーリンク
スポンサーリンク

星野仙一

星野 仙一は、日本のプロ野球選手・監督、野球解説者。 岡山県児島郡福田町出身。選手時代のポジションは投手。中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。

現役時代は中日の投手事情もありあまり先発では使われなかったそうです

現役時代は巨人 阪神キラーとして活躍したそうです

監督としてはリーグ優勝4回 楽天で初の日本一に輝く 名将だったと思います

田淵幸一氏「『おい早いよ』と言いたい」 星野さんと背番号まで長生きする約束あった

4日に亡くなったプロ野球楽天球団副会長の星野仙一さん(享年70)と東京六大学リーグ時代から50年以上親交がある田淵幸一氏(71、法大-阪神など)が8日、フジテレビ系情報番組「とくダネ!」(月~金曜前8・0)にゲスト出演。星野さんとの思い出を語った。

番組では、亡くなった星野さんのキャリアを紹介し、その死を悼んだ。田淵氏は、「このブイ(VTR)を見ても、まだ電話がかかってきて『おい、ブチ!』って言われそうな、そんな雰囲気なんですよね」と率直な気持ちを語った。

田淵氏は星野さんとの関係について「私も、阪神(で星野さんが監督、田淵氏がチーフ打撃コーチに就任した2002年)から一緒にユニフォームを着たとき、あれから本当の意味の親友っていうかな。ずっと一緒にいるわけですから」と振り返り、そのときから呼び方を「仙ちゃん」ではなく「監督」に変えたことを明かし「それが、(訃報のあと)はじめて仙ちゃんって、もう一回…さようならって言いました」と語った。

田淵氏は、元日に届いた星野さんからのメールで文末に「いつもありがとう!」と書いてあったことを明かし、「そんな、ありがとうなんて、これまで書いたこともないし、言ったこともないし。だから、まさかと思っていたんだけど」と振り返りつつ、まさかすい臓がんだったとは思っていなかったので、訃報を聞いたときは衝撃も大きかったと語った。

司会を務めるフリーアナウンサー、小倉智昭(70)が、楽天で星野さんの背番号を永久欠番にするという話があることを紹介すると、田淵氏は「以前にね、(星野さんが)77番、監督でしょ?俺が88番でしょ?『これ(背番号の年齢)までは頑張ろうや、長生きしようや』と約束していただけに、『おい早いよ』と言いたいよね」と惜しんだ。

原辰徳氏、男が惚れた男・星野仙一氏の「メリハリを尊敬」

現役時代一番好きな選手でした 原辰徳

そんな原さんと星野さんの話をご紹介

巨人・原辰徳球団特別顧問(59)が6日、東京都内で取材に応じ、楽天・星野仙一球団副会長の死を悼んだ。現役時代の初対戦の思い出や巨人の第1次政権時代の2003年、退任の際にかけられた言葉など、故人との絆を明かした。

星野氏の訃報に接した原球団特別顧問は、沈痛な面持ちだった。

「非常にショックです。(昨年の)殿堂入りのパーティーでお会いし『よく来てくれた。感謝する』という言葉がすごく温かく、印象に残っています。星野さんは仏と勝負の鬼という両極端の顔を持っていました。そのメリハリは尊敬していました」

現役時代の思い出にさかのぼる。「初対戦はナゴヤ球場だったと思いますが、星野さんが球を投げるときに『おい、いくぞ!』という気合を前面に出された。私の知る限り、一番、強い気合の持ち主でした」。

そして、引退後ももちろん関係は続いた。“監督業”の先輩でもある星野氏から「いいか、選手はな、信頼しても信用するなよ」と言葉をかけられた。「選手への信頼が、いいチームを作り上げる。印象に残っています」と原氏は言った。

忘れられないのは2003年10月7日の甲子園球場。このシーズン限りで巨人監督を退任した原氏は、星野監督が指揮を執る阪神とシーズン最終戦に臨んだ。敵地ながら試合後のセレモニーであいさつ。星野監督から花束を渡されて抱き合うと、涙した。

「『くじけるな。もう1度、勉強して戻ってこい』という言葉が、あすへの活力になりました」

原氏は10年の時を経て2013年、星野監督が率いる楽天と日本シリーズで対決。激闘の末に3勝4敗で敗れたが「心の中で拍手を送ったことは記憶に残っています」。野球人の先輩として尊敬していた星野氏をしのんでいた。

「ずっと野球と恋愛をしてきてよかった。もっともっと、野球に恋をしたい」

「ずっと野球と恋愛をしてきてよかった。もっともっと、野球に恋をしたい」。昨年11月28日、東京都内であった野球殿堂入りの祝賀会で、星野仙一さんは熱っぽく語っていた。それからわずか1カ月で悲報が届くとは、約1100人の出席者は一人として思わなかっただろう。

1987年から中日、2002年から阪神、11年からは楽天と、3球団の監督を歴任したが、監督として唯一の日本一を経験したのは楽天時代。就任直後の11年3月に東日本大震災に見舞われた。当時、選手たちは被災地の球団として、試合当日でも学校などの慰問に取り組んでいた。就任3年目の13年、星野さんはそれをやめさせた。

祝賀会では、この時のことを「選手全員に『お前らの優しさは十二分に被災者に伝わった。でも、強さを伝えないと本当の優しさは生まれない。Bクラスばかりじゃ子どもたちは悲しむ。今年は強さを証明しよう』とげきを飛ばすと、選手の目の色が変わった」と振り返っていた。

エースの田中将大(現ヤンキース)が24勝無敗の成績を残すなどパ・リーグを初制覇。星野さんにとっての宿敵、巨人との日本シリーズも制して初の日本一に輝いた。「うれしいより、ホッとしたというだけ。責任を果たせたという思いだけだった」

そして星野さんは、胸中に抱いた夢を明かしていた「全国の子供が野球をできる環境をつくらないといけないという夢を持っています。(活気のあった巨人の)V9時代の球界に戻さないといけない。
プロもアマもない。野球界(全体)と考えれば底辺も拡大する」
各界の著名人約1100人を前に「これだけの人が来てくれた。野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と語った。自らを育ててくれた野球。少年少女の競技人口の低下が叫ばれる現状を看過できなかった。
これからこの星野監督の野球愛&夢は誰が引き継ぎ実現していくのだろうか・・・

takehisa

いつもブログを見ていただきありがとうございます
何か少しでも見てくれた方のプラスになれば嬉しいです

都内の中野 国立 中央線エリアでサロンを展開

http://www.salon-de-bika.com

若いスタッフと共にたくさんのチャレンジをしながら成長している経営者

2000年にはLONDON vidal sassoonに留学経験あり

帰国後国内でカラリストとしてキャリアを積みステージや講習会なども多数開催

月間400名以上の顧客を担当するも昨今は経営者としてシフトチェンジ

『チャレンジすること』

『周りの人もチャレンジすることには最大限のサポートをすること』を
モットーに日々悪戦苦闘しています

株)バンビーニでは一緒に働いてくれる仲間を随時募集しています

ここから飛んでください

http://www.salon-de-bika.com/recruit.html

https://work.salonboard.com/slnH000324817/

 

美容師として活躍したい

これからの時代に即した働き方

キャリアアップの仕方

海外などで働きたい

自分で起業したい

様々なあなたのやりたいに精一杯お応えしたいと思います 

そして僕にその夢聞かせてください 応援させてください!!

ぜひ一度お話ししましょう

 

下からメッセージいただいても結構です

https://www.facebook.com/take1977

http://www.salon-de-bika.com/recruit.html

https://www.instagram.com/takehisaomura/?hl=ja

お会いできるの楽しみにしています!!

僕たちの仲間になりませんか?

 

http://www.salon-de-bika.com

 

僕たちの仲間になりませんか?

バンビーニでは一緒に様々なチャレンジしてくれる方を募集しています

 

ぜひ一度、遊びに話を聞きに来てください

 

僕が今取り入れているコーチングの勉強も知りたい方いたらぜひ紹介します

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする